飛騨屋久兵衛とは
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飛騨屋久兵衛とは
飛騨屋久兵衛
飛騨屋久兵衛
飛騨屋久兵衛は飛騨国益田郡湯嶋郷(岐阜県益田郡下呂町)の出身です。
先祖は武田信玄の家臣でしたが、武田氏没落後、飛騨の地へ移り、土地の名家を継ぎました。
飛騨屋(武川)久兵衛倍行(ますゆき)は、この先祖から譲りうけた9000坪余りの土地を耕し生計をたてていましたが、四方を山に囲まれた飛騨で一生を終える事にとても我慢がなりませんでした。
「俺は蝦夷地へ行く!大海原が、そして蝦夷地の山の幸海の幸が、俺を待っている!!」
かくして久兵衛は元禄9年(1696年)、大いなる夢と希望を胸に、五つ違いの弟倍時と共に飛騨の国を出ました。
久兵衛22歳の時でした。
江戸、下北・大畑での準備期間を経て元禄15年(1702年)、ついに2人は津軽海峡を渡る待望の日を迎えました。
「この海の向こうに広がる夢の大地で、俺は絶対に、大商人になってみせる!!!」
津軽海峡を吹き抜ける潮風をその身に受けながら、久兵衛はそう心に誓った事でしょう。
彼は松前に渡ると、松前藩から蝦夷松など木材の伐採と、これを江戸や大阪に出す権利を得る事に成功しました。
はじめは福島町、知内町、木古内町で大木を伐り出していた久兵衛でしたが、その後近代的ともいえる商法で久兵衛の開発事業はたちまち大きくなりました。
その勢いは蝦夷地全島及び北方領土の国後島の山請負をなす程でした。
また蝦夷松の伐採も一時飛騨屋の独占状態になるなどして、久兵衛は巨利を得たのでした。
彼はその後さらに海産物にも事業の手を広げ、30代の若さで飛騨屋久兵衛は蝦夷地開発の代表的な商人となりました。
裸一貫夢を追いかけ、そして「蝦夷地で大豪商になる」というその夢を彼は見事にかなえたのです。
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